History
五十嵐正俊の軌跡
- 1971年
- 父・昭(あきら)母・祝子(しゅくこ)の長男として山形県鶴岡市に産まれる。その後、姉・泉(いずみ)のスパルタ教育のもと、立派な悪ガキとして成長する。
- 1985年
- この頃から異常に映画と音楽に興味を持ちはじめ、田舎なために何ヶ月か遅れのロードショウをもろともせず映画館・レンタルビデオ屋にいりびたるようになる。
- 1990年
- 途中、父の仕事の関係による転校や無期停学などがあったが、無事、山形県立鶴岡南高校を卒業。いざ、東京の大学へ!・・・
- 1990年
- 河合塾・立川校入塾。死ぬほど憧れた日本大学映画学科演技コースへのこだわりが頑ななものになる。
- 1991年
- しかしまたしても失敗。某大学合格もやはり夢は捨てきれず2浪目突入。この頃の経験が今の自分を形作った。あまりにもいろんなことが凝縮された2年だった。
- 1992年
- 日本大学芸術学部映画学科演技コース合格。が、期待とは裏腹に自分の情熱を受け止めてくれるだけのカリキュラムは存在しなかった。しかし!ここで一生の友になるであろう多くの仲間達と出会うことになる。刺激しあい影響しあいながら現在に至る。
- 1994年
- 何故か友達からギターを借りて弾いてみようと思いたつ。そしたら弾けてしまった。長渕剛の「とんぼ」が弾けた瞬間に今まで書きためていた詩に曲をつけてみようと思った。思えばこれが始まりだった。ギターを借りて1週間目のことだった。
- 1995年
- 卒業制作で出演した映画「詭弁の街」がPFFアワードで審査員特別賞受賞。その結果、出演作がレンタルビデオ屋に並ぶことになる。TUTAYA新宿店にちゃっかりチェックしに行った自分がかわいい。その後嵐のような出演依頼を期待したが世の中そんなに甘くはなかった。
- 1996年
- 大学の先輩である佐々倉有吾氏とやっぱり同じ大学で同級生の新原恭子氏と佐々倉氏の従兄弟・渡辺剛史氏(現医者、後に脱退)のユニットDREAMBOAT結成。デモテープ制作とライブに明け暮れる。平行して自分の曲を書きためていた。
- 1998年
- 多くのレコード会社から声が掛かったがDREAMBOAT解散。メンバー達はそれぞれの道を歩み始めた。
- 1999年
- 本格的にソロ活動スタート。ライブやデモテープ制作に力を入れる。
- 2000年
- Official Web Site.「NO NAME FACTORY」開設。
- 2001年
- フジテレビ主催・ミュージックオーディションMEDAMA2001ファイナルに進出し、お台場TLGにて熱唱。
- 2006年
- Official Web Site.「NO NAME FACTORY」が2回目のリニューアル。
NetRadio「歌い切り!」をスタート!